壮大な石積みの城郭に引き込まれる 琉球の世界遺産グスク
グスクとは古代の琉球、
11世紀から琉球王国が誕生する15世紀前半までに作られた城郭の遺跡である。
三山時代には王や按司の居城となっていたため、
グスクには「城」という字があてられているが、
その内部には信仰の聖域である「御嶽」が存在しており、
軍事拠点としての意味合いが強い内地の城とは性質が大きく異なっている。
美しく積み上げられた石垣は、確かにグスク最大の魅力ではあるが、
漂う不思議な雰囲気、美しい風景、伝承される物語...それら全てが人々を魅了している。
文献も少なく謎に包まれたグスク。
今回は、ユネスコ世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
に登録された4つのグスクを紹介する。

1.ヤンバルに立つ 今帰仁城跡
本部半島の北部に位置する今帰仁城は、三山時代(14世紀頃)の北の盟主、北山王の居城だ。
今帰仁は「いまきじん」ではなく「なきじん」と読む。
薩摩侵攻後、地名に漢字が当てられた中世には「いまきじん」と読んでいたそうだが、
結局訛って「なきじん」となったそうだ。
今帰仁城の目玉は、やはり
「志慶真門郭(シジマジョウカク)」と呼ばれる美しい裏門の郭だろう。
本部の丘陵に積み建てられた広大なグスクは、ヤンバル王の居城に相応しい風格がある。

グスクで一番の高所「御内原(うーちばる)」からの素晴らしい展望。
東シナ海に浮かぶ伊是名島と伊平屋島を望む。
因みに、御内原とは内地の城でいうと大奥にあたる領域のことだ。

2.西方の島々を一望 座喜味城跡
沖縄本島の中部、読谷村の丘に立つ座喜味城は、
按司で名築城家の「護佐丸(ごさまる)」が築城したグスクだ。
按司(あじ)とはグスクを拠点とする地方豪族のことで、
護佐丸は、沖縄でも特に有名な按司、そして名将である。
琉球の加藤清正といったところか。
外周は365m、中規模のグスクではあるが、
整然と積み上げられた美しい城壁とアーチ石門...護佐丸の傑作と云われるだけある。

標高130mの城郭の上からは、慶良間諸島はおろか、
渡名喜島、粟国島、沖縄諸島の中で最も西に位置する久米島まで遠望することができる。

3.広大な湾を見下ろす 中城城跡
中城城とは、沖縄本島の中部、中城村の丘陵の崖縁に立地する天険のグスクである。
先中城按司が数世代に渡って築きあげてきた城郭、
それを、勝連城の按司「阿麻和利」を牽制するために座喜味城から移ってきた
名築城家「護佐丸」が増築・改築して出来上がったグスク。
護佐丸は琉球王府軍としてやって来たが、阿麻和利の策略により
このグスクで自害して滅びたそうだ。
当時の最高の築城技術によって増改築された中城城は、
名築城家、護佐丸の最後の作品となった。

標高160mの城郭からの展望は正に雄大。
眼下には広大な中城湾、
勝連半島から知念半島までを見渡すことができる素晴らしい景勝地だ。

4.天空の居城 勝連城跡
沖縄本島の中部、勝連半島の付け根の丘陵に立つ勝連城。
標高100mの城郭には、視界を遮るものは無く、360度のパノラマが広がる。
正に天空の城と言うに相応しいグスクだ。
最後の城主は、悪政を強いる前城主を討ち果たして按司となった「阿麻和利(あわまり)」。
計略によって護佐丸を除くことに成功するが、琉球王府を攻略することは叶わず
1458年、琉球王府によってグスクと共に攻め滅ぼされている。

風雲児「阿麻和利」とともに歴史を終えた城郭からの眺望は、数あるグスクの中でも随一。
半島周辺の青い海と美しい島々を一目に望む絶景スポットだ。

関連動画
- 関連記事
-
-
宮古島まもる君を探せ! まもる君人形を完全コンプリート
-
現代アートが映える! 瀬戸芸の小豆島 2016
-
壮大な石積みの城郭に引き込まれる 琉球の世界遺産グスク
-
瀬戸内に浮かぶ小さなアートの島 豊島
-
刻を越えて現代に残る...奇跡の現存天守(前編)
-
コメント