[534日目]消えた母島の集落、北村
かつて母島には沖村・北村という2つの集落が存在した。
沖村は母島の玄関口である沖港周辺の集落で
本土復帰とともに小笠原村に合併されたが、今も母島の中心地として発展している。
しかし、母島の北部、北港周辺にあった北村は、
本土復帰後に帰島し開拓する住人もいたが定住するものなく廃集落となったようだ。
北村の集落跡を散策したあとは、母島北部の観光スポットを巡る。
走破したルート (36 km)
消えた北村集落へ
北村は都道241号の北端、北港の周辺に存在した集落だ。
今では、オガサワラビロウの葉で葺いた屋根の東屋がポツンと建っているだけだ。

80軒の家が軒を連ね600人以上暮らしていた北村は、
カツオ節工場やクサヤ工場、旅館まであった大きな集落だったが、
1944年の強制疎開で廃村となってしまった。

桟橋だけが残る北港。カツオ漁船で賑わっていた70年前の面影はない。

打ち捨てられ赤錆た機械の残骸だけが、かつてここに集落があったことを物語る。

植物に浸食され、朽ち果てていく北村の集落。

ガジュマルに埋もれる北村小学校
集落の入口にある北村小学校の跡地。
沖村にあった沖村小学校と対抗試合をするなど、
子供たちで賑わったであろう小学校も70年も経つと密林に埋もれてしまう。

ガジュマルが絡みつき門を形作っている校門の跡。
左右の門柱は精糖圧搾機のローラーだそうだ。

跡地に一歩踏み込むと、そこはガジュマルの群落。

1887年に開校し57年続いた小学校も、
70年の月日でガジュマルに占領されていた。
もうここは人の住む土地ではなく、ガジュマルたちのテリトリーなのだろう。

捕鯨の港、東港
北村の南東にある海岸に作られた東港へ。
1981年から85年までの4年間だけ捕鯨が行われていた港だそうだ。
2艘の漁船が陸置きされていたが、もう漁港としては使われてないようだ。

岸壁から山崎の鼻と入り江を望む。

太平洋戦争の痕、砲台の跡地
東港から都道を庚申塚方面に1kmほど上ると、探照灯下砲台跡地への入口がある。
因みに、探照灯とはサーチライトのこと。

入口から少し下ったところにある展望台からの眺め。
V字の谷間から東港と臥牛角の岬を望む展望スポットだ。

ジャングルの中に3門の高角砲が佇む。

米軍の指示により、使用できないように日本軍が破壊したそうだ。

母島の夕陽スポット 鮫ヶ崎
脇浜なぎさ公園の高台にある鮫ヶ崎展望台は夕陽を眺める絶好のビュースポットだ。

夕陽に照らされる平島、二子島、丸島、姉島。

向島の横、水平線に溶けるように沈む夕陽が美しい

沈んだあとも夕陽の残照が西の空を染めている。

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