[266日目]浦添城跡(32/47都道府県)
那覇の近場を観光する。浦添城跡へ
走破したルート (20km)
朝ごはん
トーストに味噌汁は合わないという意見もあるが気にしない

浦添ようどれ
浦添城跡へ。まずは「浦添ようどれ」を観る

「浦添ようどれ」とは琉球王朝初期の王墓。
「ようどれ(ユードゥリ)」とは沖縄の方言で「夕凪」のことらしいが、何故、墓を夕凪と呼ぶのだろう?

立派な石垣だが平成に復元されたもの。オリジナルは沖縄戦で壊滅している

岩盤と石積みでできた「暗しん御門(くらしんうじょう)」は沖縄戦で破壊。
石積みのみ復元されてる

墓庭を囲む中御門

一番庭

向かって右側が西室(英祖王陵)、左側が東室(尚寧王陵)

眺め

浦添城跡
「浦添ようどれ」の上にある浦添城跡へ


城内にある御嶽「ディーグガマ」

残念ながら立入禁止

城跡内は芝の広場になってる

祭祀を行う場所「トゥン(殿)」

カガンウカー


2014年の発掘調査で当時の石垣が見つかったらしいが、シートで覆われてるので見えない

クチグヮーガマとよばれる洞窟。口の形に似てるのが由来らしい

沖縄戦では避難壕として使われたらしい

シーマヌ御嶽へ。ハブ注意

鬱蒼とした林を進む...どうやら立入禁止のようだ

シーマヌ御嶽

カラウカー


サーターヤー跡
城跡周辺の住宅地にあるサーターヤー跡へ。サーターヤーとは「精糖所」のこと

跡といってるが、住宅となっていて跡形もない

クバサーヌ御嶽
サーターヤー跡の近くにクバサーヌ御嶽

仲間集落の発祥の地だそうだ

仲間樋川
更に進むと仲間集落の村ガー「仲間樋川(なかまフィージャー)」

水を樋で導き容易に汲み取れるようになってる

晩ごはん
晩ごはん。宿泊客が阿嘉島で釣ってきた魚を頂いた

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